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セリフはスープに浮かぶ油のようなものだ

一昨日僕が拝見したミラン・スラデクさんのパントマイムの公演は、一般のお客様向けではなく、東京演劇集団風の劇団員の皆さんのためのものでした。

ミランさんは、現在、4月10日~12日にレパートリーシアターKAZEで上演される「三文オペラ」の演出をされています。

ミランさんの演劇理論や演出法を、俳優さんたちに身を持って伝えるために実演されたようです。

 

僕も、ミランさんのマイムを見ていて、学ぶことが沢山ありました。

日本の演劇に欠けているものは何なのか、演劇で本当に重要なものは何なのかを、はっきり教えて頂いたように思いました。

 

ミランさんのマイムの演技は実に的確です。

たとえ作品の途中から見たとしても、あるいは写真でその一コマを見ただけでも、どんなキャラクターがどんな心理状態にいるのかが、はっきり分かる筈です。

余計な説明やセリフによる補足がなくても、十分です。

姿を見せた一瞬で、その役の全てが分かる...。

その登場人物が一体何を語るのか、観客は固唾をのんで見守る...。

そんな演技です。

セリフを言う前に、もう勝負が付いているんです。

この風情を出せる役者さんが、日本には本当に少ないと思います。

 

ミランさんは、マイム作品を上演する合間に、様々な説明を加えていらっしゃいました。

中でも印象に残ったのは、「セリフはスープに浮かぶ油のようなものだ!」という言葉です。

意味が分かりますか?

 

人がスープを作り、飲むのは、油のためではありません。

スープを作ると、どうしても上澄みに油が浮いてくるだけの話です。

セリフは、人が何かを知覚し、認識し、判断し、感情が動いた後、初めて発せられるものなのです。

その何かを受け止めたという肉体をまず作ってから、ようやくセリフが出てくるべきなのです。

実際、我々が生活の中で話をする時には、何を喋るか事前に準備していません。

肉体で情報を受け止め、肉体に感情が表れた後、やっと言葉にまとまるのではないでしょうか。

 

しかし、役者が役を演じる場合、予めセリフを覚えています。

次に自分が何を言うのか、相手の言葉を聞く前に知っているのです。

ですから、どうしても言葉の記憶ばかり辿ってしまいます。

そして、肉体の反応を疎かにしがちです。

役者同士が、覚えた言葉を交互に言い合う劇ほど、味気ないものはないと思います。

セリフを知りたければ、脚本を読めばいいのです。

わざわざ役者がそれを上演する意味とは、登場人物をどれだけ肉体化・身体化出来るかに掛かっているのです。

演劇においては、はじめに肉体ありきなのです。

セリフは、肉体表現の一部に過ぎないと考えるべきです。

体内に宿る感情がほとばしった結果が、セリフなのです。

日本の"セリフ偏重主義"は絶対に見直さなくてはならないと思っています。

 

僕の言っていることは極論だと思われる俳優さんも多いかもしれません。

でも、ミランさんの演技を見れば、共感出来るはずです。

無言劇で、あれだけ正確に人物描写を出来る実例を見れば、お分かり頂けると思います。

僕も「もっともっと肉体表現を磨いていかなくてはいけない」と、気を引き締める良いきっかけになりました。

 

そんなミランさんの演出される「三文オペラ」は、きっと素晴しいものになるのは間違いありません。

近々、商業演劇でも「三文オペラ」が上演されるようですが、きっとKAZEの「三文オペラ」は一味違うと思いますよ。

今から楽しみです。

 

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