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難解な文章


先日、哲学者・カントの『崇高』の考え方をご紹介させて頂きました。
せっかくですから、これを機に、カントの原典に当たってみようと思いました。
そこで、代表的著作とされる『純粋理性批判』を岩波文庫で買ってみました。
しかし、その文章たるや、ものすごいモノでした。
少し引用してみますので、試しに読んで見てください。

実際〔純粋統覚の〕持続的な「私」は、この「私」がわれわれのあらゆる表象を意識しうるかぎりにおいてのみ、これらあらゆる表象の相関者である。そして、あらゆる意識がすべてを包括する純粋統覚に属するのは、表象としてのあらゆる感性的直感が内的な純粋直感すなわち時間に属するのと同様である。こうした純粋統覚は純粋構想力の機能を知性的なものとするために、この構想力に付け加えられねばならない。

なんという難しさ!
難しいというより、悪文と断言せざるをえません。
そもそも、この翻訳で合っているのでしょうか?
理解できる人がいたら、かみ砕いて教えて頂きたいですね。

でも、これぐらいの思考ができないと、『崇高』にはたどり着けないのかもしれません。
僕には無理か...

崇高


「美」の対義語は「醜」とされています。
しかし、哲学者・カントによると、「美」の反対は「崇高」になります。
「美」はどこか予定調和的で、微笑みをたたえて通り過ぎることができるものです。
一方「崇高」は、巨大なものや勇壮なものに対して抱く感情、また心的イメージをいう美学上の概念です。
計算、測定、模倣の不可能な、何にも比較できない偉大さを指します。
その圧倒的なスケールに、人が自らの卑小さを思い知らされるものです。
暴力的に、見る人の自我の破壊を促すのが「崇高」です。

これまで僕は美しい作品を好んできましたし、自らも作ろうと努力してきました。
ところが、ただ美しいだけというモノに、物足りなさを感じていたのも事実です。
今回、「崇高」という言葉の本当の意味を知って、目からうろこが落ちました。
自分の目指すべき方向が明確に示されたような気がしています。
少し時間をかけて、具体的な方策を探っていきたいと思っています。

金木犀


11月になりました。
甘い香りを漂わせていた金木犀の花も、もうすぐ終わります。
2019年も残すところ僅か2か月!
頑張っていきましょう。

金木犀.JPG


さて、またまた、新作を作ることになってしまいました。
ことしだけで8本もの新作を発表しているだけに、かなりのハイペースとなります。
すでにいろんなパターンをやってしまっているため、新機軸を打ち出すのは大変です。
苦手な演技に取り組まなくてはならないかもしれません。
自分の弱点を見つめるのは、本当に辛いものです。
出来はともかく、自分自身が面白いと思えるモノを模索していきたいと思っています。

 

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